おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
きょうはペンテコステと呼ばれるキリスト教会にとって特別な記念日です。それは、キリストが約束された聖霊が弟子たちに降った日です。俗にこの日をキリスト教会の誕生日、と呼ぶ人もいます。それほどに、この日はキリスト教会にとって特別な記念日です。
イエス・キリストは、ご自分がこの地上から、もと居た父なる神の身許にお帰りになったあと、ご自分に代わって聖霊を遣わすと約束してくださっていました。その時が来るまでは、エルサレムを離れないようにとも弟子たちに命じていました。
イエス・キリストはおっしゃっています。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)
このキリストの言葉には二つの約束があります。一つは、聖霊の降臨とともに力が与えられるという約束です。
キリスト教の原動力は弟子たちの内側から自然と湧き出てきたものではありません。上から与えられる聖霊の力によるものです。それは聖霊の働きの大きなしるしの一つです。
使徒言行録という書物が書き記していることは、聖霊によって力を与えられた者たちの働きの記録です。人間の偉大さではなく、働き人たちに力を与えておられる聖霊の偉大さがそこかしこに記された書物です。ある人たちは、この書物のことを聖霊言行録、とさえ呼んでいます。事実、キリストの約束の通り、聖霊の力が弟子たちを通して豊かに働いているからです。
もう一つの約束は、弟子たちがキリストの証人となって、その証言が地の果てにまで及ぶという約束です。これは弟子たちに証人となるようにという命令ではありません。キリストの証人となるように任じておられるのは、キリストご自身です。そして、そのための力も能力も、聖霊が与えてくださいます。
しかも、彼らが証人として働く場所は、特定の地域ではありません。初めはもっとも近いエルサレムがその働きの場所ですが、エルサレムから周辺へと広がっていきます。そこにはサマリアも地の果ても含まれています。このことは、大した意味もない一言のようですが、決してそうではありません。キリスト教が一民族の宗教ではない、ということを物語っています。教会の誕生のその時から、地の果てを目指して、キリストの福音が語られているのです。
このキリストの言葉を耳にした弟子たちには、地の果てといっても、せいぜい地中海を超えた世界ぐらいしか描けなかったかもしれません。しかし、実際には、今日に至るまで、福音は世界を駆け巡り、文字通り世界の果てにまで及んでいます。
もちろん、このことはグローバル企業が全世界に勢力を拡大するという野望とは比べることはできません。勢力の拡大のために弟子たちが働いているとすれば、これほど虚しいことはありません。救いの恵みからもれる世界のないこと、神の救いの恵みが地の隅々にまで及ぶこと、このことのために聖霊の力が今もなお教会を通して働いているのです。