おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
「キリスト教は難しい」とよく言われます。それは、どんなことでもそうですが、なじみのないことは難しく聞こえるものです。しかし、それにしても、キリスト教はよくわからない、と感じるのも同感できなくはありません。
考えても見れば、聖書の中に登場する人物で、神を直接見た、という人はほとんどいません。神の声をきいたという人なら何人かいます。
キリスト教会が神について知っていることは、百パーセント聖書から得た情報に限られています。その情報も神についてのすべてが書かれているわけではありません。まして、わたしたちが神について知りたいと思う興味本位の疑問のすべてに、聖書が回答を与えていると思ったら大間違いです。
そもそも神という存在は無限であるといわれています。そのことだけを取り上げても、無限の存在である神を有限である人間が理解できないのは当然ですし、神のすべてについて書き記そうとしたら、それこそ無限の筆記用具が必要です。
では、聖書を読んでも不十分な知識しか得ることができないのか、というと、そうではありません。少なくとも聖書には、わたしたちが救われるための十分な情報が記されています。そして、その限りではありますが、神についての必要な知識も十分に記されています。
その中で今朝は「聖霊なる神」についてお話ししたいと思います。
おそらく、聖書を読んでいて一番わかりにくいことの一つに、いったい聖書の神は唯一なのか、それとも何人もいるのか、ということがあると思います。キリスト教は唯一の神を信じているといいながら、「父なる神」と呼びかけたり、「キリストも神である」と公言したり、そうかと思えば「聖霊なる神の導き」など、頭が混乱しそうなことを言っています。ただ一人しかいない神を、いろいろな呼び方で呼んでいるだけだというのなら話は簡単ですが、どう聖書を読んでも呼び名の違いではなさそうです。
キリスト教では、そういう神のあり方を「三位一体」という用語で呼んでいます。この世の中の何かで例えることができない神の存在のあり方としか言いようがありません。これからお話しする「聖霊なる神」とは、三人いる神の一人、ということではありません。このことはどんなに説明してもしきれないことですので、このことについては、そういうものだと、いったん頭の片隅にしまっておいてください。
きょう、聖霊について、ぜひ心にとめていただきたいことは、このことです。それは、この聖霊の働きを通して、キリストによる救いの恵みが、はじめて一人一人に確実に分け与えられるということです。言い換えれば、どんな人間の説得も、聖霊の働きがなければ真の信仰に至ることはありません。あるいは逆にどんな人間の頑なな心も、聖霊の働きが及ぶときに、開いた心へと変えられるということです。
もし、キリスト教についてもっと知りたいのに、難しすぎてわからない、と感じていらっしゃるのでしたら、ぜひ、心を鎮めて、聖霊なる神の導きを祈り求めてみてください。聖霊なる神が、心の中で働いて、理解を助けてくださいます。そのようにして、まことの神を信じる者が絶えることなく起こされてきます。