キリストへの時間 2018年4月22日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

大宮季三(芸陽教会牧師)

大宮季三(芸陽教会牧師)

メッセージ: 消えない光?

 おはようございます!高知県安芸市にあります、芸陽教会の大宮季三です。
 さて、皆さんは、間近に迫ったゴールデンウィーク、どのようにお過ごしになる予定でしょうか?「あと一週間でゴールデンウィークだ、ゴールデンウィークが来るのが待ち遠しい。」と思われている方が多いと思います。その一方で、ゴールデンウィークを楽しみにしながらも、「ゴールデンウィークが終わってしまうことが嫌だ。」と複雑な思いをされている方もいらっしゃるのではないかと思います。

 「五月病」という言葉があります。4月から新しい年度になり、多くの方は、置かれている状況に変化が生じます。入学や進級、就職や転職、部署の異動など自分の立場が変わり、また、人間関係も大きく変わる中で、なかなか新しい環境に馴染めず、苦しくなる人が少なくありません。そんな中、連休を目先のゴールに据えます。連休が楽しければ楽しいほど、その後、余計に苦しくなるということがあります。

 目の前の楽しいこと、明るいことがあると私たちの気持ちは高ぶりますが、私たちはそれが終わってしまったときに、目の前の光がなくなってしまったような、何とも言えない暗い気持ちになってしまいます。自分の置かれている状況はとても暗い、そして、自分自身も暗い、と明るさのない暗い闇の中を歩むような気持ちになります。

 聖書は、この世界と人間を作られた真の神様と離れたところを「暗闇」と言います。つまり、私たちが何とも言えない暗い気持ちになる原因は「神様と離れているからだ。」と聖書は言っています。人間が神様と隔たれたところにいるのには原因があります。それが「罪」です。罪とは、真の神様から見て、悪いことです。人間の決めた法律に反することだけが罪ではありません。神様が基準です。私たちは口や、心で人を傷つけます。相手を無き者にしようとします。それは、神の前に罪である、と聖書は言います。
 真の神様の前に、私たちには罪があります。それ故、私たちと神様との間は隔たれてしまってます。

 神様と隔たれ、暗闇の中を歩んでいる人間のために、神様がお遣わしになられたのが、神の子である、イエス・キリストというお方でした。この方は「私は光である。」とおっしゃいました。大きな炎が燃え上がる、仮庵祭という祭りをしている神殿で、イエス・キリストはこの言葉をおっしゃいました。人々は目の前に、大きな炎、大きな光を見ているのです。しかし、その光ではなく「私こそが、この私が光である。」とおっしゃったのです。
 イエス・キリストは、人間の暗闇の原因である「罪」を解決してくださる唯一のお方です。イエス・キリストは、十字架にかかり、死なれました。それは、私たちの罪を背負い、罪を解決するためのものでした。

 人間は「死」という最も暗い出来事から逃げることはできません。しかし、イエス・キリストを信じる者は、この「死」さえも乗り越えることができます。イエス・キリストは続けて「私は命の光である。」とおっしゃいました。
 イエス・キリストは、十字架で罪を背負われ、ただ死なれただけではありませんでした。死という闇の中から、復活という命の光を照らされました。私たちはこの方によって、神との間を隔てている罪が解決され、神と共に永遠に生きる命が与えられます。

 教会では、このイエス・キリストの光を浴びることができます。どうか今日、本当の光を、消えることのない光を浴びに教会に足を運んでください。命の光であるイエス・キリストが、あなたを照らすために待っておられます。

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