おはようございます!高知県安芸市にあります、芸陽教会の大宮季三です。
さて、ラジオをお聞きの皆様は、遠くに出かけて、がっかりしたという経験をお持ちでしょうか?「日本三大がっかり名所」というのがあるのですが、残念ながらその一つに挙げられてしまっているのが私の住んでいる高知県にあります「はりまや橋」というところです。歌の歌詞などにも出て来ることから、遠くからワクワクしながら訪れる方も少なくないようです。しかし、車では分からない内に通り過ぎてしまうほど、小さな橋であることから、ガッカリしてしまうようです。
さて、聖書の中に、救い主イエス・キリストを拝むために、遠い東の国からやってきた人たちがいました。彼らはイエス・キリストの生まれたベツレヘムという場所からは遠く離れた文化も宗教も違う国の人たちでした。
このとき、イエス・キリストはまだ幼子です。一人では何もできず、お母さんに抱きかかえられながらヨダレを垂らしているような姿が目に浮かびます。また、イエス・キリストは家畜小屋で生まれました。家畜小屋というのは動物たちの鳴き声や匂いが溢れるところです。
ただ、「家畜小屋にいる赤ん坊」。この外見から考えれば、そこは全くのがっかりスポットになり得ます。遠くから来た人には尚更のことです。しかし、彼らは喜んでイエス・キリストを礼拝し、自分たちの宝物を捧げて自分たちの国へ帰って行きました。
彼らが拝みに行った、イエス・キリストとは、一体何者だったのでしょうか?「イエス」という名前は、「救う」という意味を持っています。イエス・キリストは「罪から救う方」としてこの世界に生まれました。聖書は、人間が本当の神様から離れてしまっている、と語ります。そしてその原因を「罪」と言います。私たちはどれだけ遠くの病院に行っても、どれだけ多くのお金を積んでもこの「罪」という問題を解決することはできません。
イエス・キリストは、人間では解決できない私たちの罪を解決するために、私たち人間の罪を背負い、十字架に掛かられ、そして3日目に復活をされました。私たちの罪を解決し、私たちと永遠に共にいて下さる神様、それがイエス・キリストというお方です。このお方だけが私たちの唯一の救い主であるので、この方を拝み、礼拝することは本当に価値のあることです。
さて、今日は日曜日です。キリスト教会がイエス・キリストを礼拝する日です。皆様のご自宅は、教会のお近くでしょうか?地理的に、教会が遠い方がいらっしゃるかもしれません。また、地理的には近くても、自分は教会に行った事がない、キリスト教の信者は知り合いにはいない、そういう意味で教会が遠い、と思われている方。また、何かの事情で、教会に行かなくなり、教会には行きにくくなってしまった、という方。今日は疲れていて眠い、せっかくの休みだから、家で休むんだ、遊びに行くんだ、という方。多くの方が、それぞれの理由で、イエス・キリストを礼拝する場所は「遠い」と思われているかもしれません。
しかし、それがどれだけ遠い距離であっても、イエス・キリストへと向かう道は決して無駄ではありません。イエス・キリストに出会うとき、がっかりすることはありません。
遠い距離を行って自分の宝物を捧げる価値のある方、今日、この方を教会で礼拝しましょう。「遠くからよくきてくださいました。」と歓迎してくれるのは、教会の方だけではありません。あなたの救い主であるイエス・キリストご自身が、今日、教会であなたを大歓迎してくださいます。