おはようございます。ごきげんいかがでしょうか。新所沢教会の長田と申します。
今年もいよいよ最後の1日を迎えました。この1年も様々なことが起こりました。与えられた恵みを振り返り、数え、神様に感謝したいと思います。
しかし中には、恵みよりも悩み苦しみを数えてしまう方もおられるかもしれません。「神様どうして私はこのような経験をしなければならないのでしょうか。」、そう祈らざるをえない方がおられるかもしれません。私たちに起こったあらゆる出来事について、私たちがその原因や意味を探ることは困難でしょう。
けれどもあらゆることに意味があります。意味というよりも、意図といったほうが良いかもしれません。神様がその出来事を私たちに与えたのには、何かの目的があるのです。その目的は様々でしょう。けれども最終的な目的、究極の意味は常に、私たちが幸いであるようにと願う神様の愛です。
たとえ、その出来事が困難であったとしても、忍耐を強いるものであったとしても、不条理な苦しみであったとしても、その底の底には私たちに対する神様の愛があるのだ、と聖書は私たちに教えております。私たちを幸いに導こうとなさる神様に感謝し、その神様が今年1年与えてくださったあらゆる出来事を感謝したいと思います。
聖書をお読みします。
「あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」マタイによる福音書7章11節