いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
マタイによる福音書のはじめに、まだ婚約中であったヨセフが、聖霊によって身ごもったマリアを、秘かに去らせようとする有名な記事があります。その続きでは、ヨセフの夢の中に天使が現れ、恐れずマリアを妻として迎え入れるように促す、というものですが、その夢ではもう一つ大切な命令が語られていました。
それは、生まれてくる子に「イエス」と名付けることでした。イエスという名は、ヘブライ語の「イェホシュア」の短縮形をギリシア語風に整えたもの、と言われています。その意味は「ヤハウェは救い」です。
ところで聖書を開いて見ますと一目瞭然なのですが、「イエスと名付けよ」という命令と「イエスと名付けた」という出来事の間に、旧約聖書のイザヤ預言が挟まれています。
「『見よ、おとめが身ごもって男の子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』 この名は『神が我々と共におられる』という意味である。」(マタイ1:23)
神様の助けは一人の男の子、「神様が私たちと一緒にいてくださる」という名前の男の子によってはっきり示される、とイザヤは言いました。
その言葉の通りに、まさに、イエスすなわち「ヤハウェは救い」という名前が一人の男の子につけられましたときに、神はどこにいるのかと尋ね、神は見つからないのではないかと嘆くことしかできなかったこの世界に、神が我々と共におられるという、ヤハウェの救いの時が鮮やかに示されたのです。それゆえ私たちは、今すでに、主イエスによってヤハウェが共にいる時代に生きているのです。