おはようございます。坂井孝宏と申します。
クリスチャンに独特の言葉遣いを天国人のボキャブラリーとして紹介していますが、今日は「憐れみ」という言葉、特に「憐れんでください」という祈りを紹介いたします。
聖書にはよく出てくるんです。「主よ、わたしを憐れんでください、憐れんでください」という祈りが何度も出て来ます(詩編6,9篇、マタイ17:15など多数)。これがどうも分からないんだと、自分はこういう風には祈りたくないんだと、こういう風におっしゃる方がいました。それは、憐れみを受けるなどというのはまるで物乞いのようで、ちょっと惨めすぎるんだと、こう言うんですね。
他方で、こんなことを教えてくれた人もいた、本当に苦しい時には「憐れんでください」としか祈れないと。これまでの人生でたくさんの試練を味わってきたけど、もう祈ろうと思っても言葉にならない。ただ『憐れんでください、主よ、憐れんでください』としか祈ることができない時があるんですと、教えてくださった方がいました。
「憐れむ」という、それは、私たちの痛みを御自分の痛みとしてくださって、はらわたがちぎれる思いで近寄ってきてくださる、助けてくださる、そういうイエス様の感情を表している言葉でもあります。そのようにして憐れんでいただくよりない惨めさ。私たちは誰もが、そういう惨めさを抱えているのではないでしょうか。
いっしょに祈りませんか。「憐れんでください。主よ、憐れんでください。」