おはようございます。坂井孝宏と申します。
クリスチャンに独特の言葉遣いを天国人のボキャブラリーとして紹介しておりますが、今日取り上げたいのは「慰め」という言葉です。
私は、教会に通うようになるまでは、慰めという言葉は滅多に口にしなかったと思うのですけど、教会では実によく用いられますね。「神様、私たちに慰めをお与えください。」と祈ることもよくします。
そういう習慣の中で、私自身はですね、自分が慰めを必要としているのだということを自覚するようにもなりました。それまでは気付いていなかったのですけど、そういう自分の傷や痛み、あるいは不安や恐れということに気付いたのですね。根源的な「慰め」を必要としているということに気付いたのです。
では聖書において、「慰め」という言葉はどういうニュアンスで用いられているかというと、一番分かりやすいのは詩編23篇4節でしょうか。
「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。」という御言葉です。
実はどこにも、慰めと出て来ませんでしたね。でも、最後の「力づける」という言葉が、ふつう「慰める」と訳される語なのです。「力づける」というのが。
どんな苦しいときでも、神様が共にいてくださるという、この絶対的な安心感ですね。だから私は、今日も恐れずに生きていける、と。この力強さ。神様がくださる慰めというのは、そういう力強い歩みにつながっていくのです。