おはようございます。今日も、お元気にお目覚めですか。持田浩次です。
身の上に何か悪いことがおこると、何か原因を探す人がおられるようです。そしてその原因があって悪いことがおこるという考え方ですね。けれどもイエス様は、それとはまったく違うことを教えられました。
ある時、イエス様と弟子たちが歩いていると、通り道に目の見えない男の人が座っていました。この人は、道を行く人たちからお金や物を恵んでもらっていました。
その時、弟子たちがイエス様に質問しました。「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
その頃のユダヤ人にも、「罰が当たる」という考え方があったようです。
するとイエス様ははっきりと言われました。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」
そして、地面の土で泥をこねてから、その人の目に塗り「シロアムの池に行って洗いなさい。」とおっしゃいました。そしてこの男の人がそのようにすると、目が見えるようになりました。
あなたにも、どうしてと思うような苦しみに遭うことがあるかも知れません。そのことも、イエス様は神の業が現れるために用いて、あなたを助け、導いてくださいます。
今日の聖書の言葉、イエス・キリストの言葉。
「イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」
ヨハネによる福音書9章3節