ご機嫌いかがですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
キリスト教は、神がおられる、ということを前提としています。その場合、どんな神でも存在しているということを信じているわけではありません。聖書の中にご自分を示しておられる、その神が存在し、今も生きておられるということを信じています。
では、その聖書の神とはどんなお方であるのか、それを一言で言い表すこともできませんし、どんなに言葉を尽くしたとしても、神のすべてを言葉で表現できるものでもありません。ただ、聖書の中でご自分を語っておられる神は、人間の罪がもたらしたあらゆる悲惨に終止符を打ってくださるお方であるということははっきりとしています。
そう信じる信仰から、二つの具体的な生き方が生まれます。
一つは、悪から生じるあらゆる悲惨さに神と共に立ち向かおうとする姿勢です。それは誰かの罪を暴こうとすることではありません。そうではなく、悲惨の中に置かれた人々に寄り添う生き方です。
もう一つは、終わりの時の完成を信じて、忍耐強く生きることです。自分が生きている時代には、神の完全な世界が回復されないとしても、それでも、終わりの時を信じて忍耐強く生きる生き方です。
今日の聖書の言葉
「兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。」
ヤコブの手紙5章7節