おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
キリスト教にとっての大前提は「神は存在する」ということです。
しかし、ほとんどの人にとっては、そうは思えないかもしれません。もし、それぞれの立場の人たちが集まって一晩中議論したとしたら、おそらく結局同じ主張の繰り返しで終わってしまうことでしょう。
神はいないと主張する人も、その正しさを論理的に証明することはできません。同じように神がいるという主張も、論理的な何かによってその正当性を示すことはできません。神が存在するかしないかは、信仰であり、信念であり、哲学なのです。
もちろん、キリスト教にとって、神の存在は主観的な気の持ちようということではありません。神の存在は確かなことであり、それは信仰によってしか受け止めることができないものなのです。
大切なことは、その信仰や信念に従ってどう生きるか、ということです。今の自分の生き方が自分の信仰や信念や哲学とどう一貫しているか、そこが最も大切なことです。
今日の聖書の言葉
「わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。」
ヤコブの手紙2章14節