いかがお過ごしでしょうか。せんげん台教会牧師の川栄智章です。
聖書の中に律法という言葉が出てきます。律法とは何でしょうか。それを守って自分の義を誇るものではありません。律法とは、自分の貧しさと、自分の行いの虚しさを悟らせるものであり、神の恵みがなければ生きていくことができないほど、自分が救いようのない罪人なので、救い主を待望し、信仰へ導くものなのです。
従って、自分と同じように罪を犯してしまう隣人に対して、憐みを持ってあげることこそ、律法の真の目的なのです。イエス様はファリサイ人に次のように言われました。
「もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」(マタイ12:7-8)
律法の真の目的を知っていたなら、人を咎めることはなかっただろうということです。さらに、安息日の掟とイエス様とを並べてみるとき、イエス様が主人であり、安息日の掟が僕であると言われます。
これは後でわかることですが、イエス様が安息日の掟の要求に服従しなければならないということではなく、神の安息と喜びが、イエス様において成就を見るということです。イエス様こそ、私たちに永遠の安息を与えられるお方なのです。