ご機嫌いかがでしょうか。南越谷コイノニア教会の黒川豪です。今週は、詩篇23編の御言葉に耳を傾けてきました。
詩人はこの詩編の結びとして次のように歌います。
「命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。」(6節)
この放送を聴いておられるあなたは、自分の人生について、どのような見通しを持っておられるでしょうか。今まで大変なことばかりだったので、この後も嫌なことばかりが起こるのではないか、という見通しを持っておられる方もいらっしゃるかもしれません。わたしも実は、そのように考えてしまう傾向があります。
けれども、まことの神様が弱い羊であるわたしの羊飼いでいてくださる人生は、「命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う」人生なのです。わたしたちが過去をよく振り返ってみたときに、あの時は辛かった、あの時は最悪であったと思える時にも、実は神様の恵みと慈しみが確かにあったことに気づくのです。そして、これからも、生涯の終わりに至るまで、そうなのです。
「主の家」とは、直接にはユダヤのエルサレムにあった神殿を指しますが、わたしたちにとっては教会を意味しています。
「主の家」、教会に帰り、生涯そこにとどまりましょう。まことの神様が、イエス・キリストが、わたしたちの、このわたしの羊飼いとして、すべての必要を満たし、疲れを癒やし、魂を生き返らせ、正しい道に導いてくださいます。