ごきげんいかがでしょうか。草加松原教会の川杉安美です。
神様の言葉が語られても、人は様々な反応を示します。最初から聞かないという人、少し興味を持つけれども長続きしない人、様々です。そういう様々な反応について、イエス様は、たとえ話を用いて教えられました。
ある人が種を蒔きます。昔のことですから、畑も十分に耕されているわけではありません。ある種は、石だらけのところに落ちてしまいました。その種はすぐに芽を出します。しかし、土がなく根の方が育っていなかったので、日に焼けて枯れてしまいました。これはどういうことをたとえているのでしょうか。神様の言葉を聞くと喜んで受け入れ、しばらくは続きます。
けれども、神様の言葉を守っていくのに困難や迫害が起こると、神様の言葉を捨ててしまう、そういう人のことを言っています。ここでは、神様の言葉を受け入れ守っていく上で、困難や迫害がありうることを前提にしています。困難や迫害は起こり得るのです。
もしそこで、神様の言葉を捨ててしまい、神様を信じ従うことを止めてしまうなら、本来30倍、60倍、100倍もの実を結ぶはずだったのが失われてしまうのです。神様の言葉が私たちの中で実を結ぶには、時間がかかったり、困難や迫害があるようです。全部そういうことを省略して、パッと実を結ばせることを、魔術というのでしょう。
そんな魔術でできたものに、本当の命があるでしょうか。本当の実があるでしょうか。神様の言葉を受け入れ、守り続けることにこそ本当の命、本当の人生の実りがあるのです。