おはようございます。ごきげんいかがでしょうか。新所沢教会の長田と申します。
今日も、私たち人間自身について考えてみたいと思います。
私たち人間は、他の動物にはない特別な能力「言葉」を使って、知恵を蓄えることができます。それにもかかわらず、私たちは、お互いに争ったり、憎しみあったり、傷つけたりします。知恵がある筈の人が、その知恵を正しく使わずに、かえって相手を不幸にし、時には自分自身を不幸にするために、その知恵を使ったりします。それはそもそも、私たちの心が正しい方向を向いていないからなのです。
聖書が私たちを「罪人である」という時の「罪」とは、この私たちの向いている方向のことを言っています。
教会で「あなた方は罪人です」と言われますと、「自分は特に悪いことをしているわけではない。」と反論される方がおります。けれども、私たちの思いが正しい方向に向いていないならば、特別に悪いことをしていなくても、私たちは罪人なのです。
そして、私たち自身が正しい方向を向いていないならば、結局、私たちの言葉も力も知恵も、正しく使うことができず、かえって争うために使ってしまう、つまり、悪いことをしてしまうのです。
「人は罪深いものである。」このことを認めて初めて、私たちは正しい方向を向いていくことができるのです。
聖書をお読みいたします。
「するとペトロは彼らに言った。『悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。』」(使徒2:38)