おはようございます。西鎌倉教会の大木信です。今日は、神がすべてを造られたお方であるというお話です。
聖書にこんな言葉があります。『災いだ、土の器にすぎないのに自分の造り主と争う者は。』何かの器が陶芸家に言っているようですね。「何で私をこんな風に作ったのか」と。本来ならば、気に入らなければ壊すことも出来るのが陶芸家なのに、その器の方が作った人に物申している。面白い話です。
ですが、人間が神に言っている不平不満は、これと似ていると聖書は教えるのです。神は人を愛されるお方です。人を造ったのは神御自身だからです。たとえその人に欠けがあったとしても、たとえ、それがいびつであってもです。
この事を知っている人は、自分の欠点で必要以上に悩んだりしません。神が変わらず愛しておられることを知っている人は、たとえ病にあっても落胆しません。そこに必ず神のお心があると信じている人は、逆境にあっても、その逆境の中で神に出会い、強められるのです。
今日の聖書の言葉。
「災いだ、土の器のかけらにすぎないのに、自分の造り主と争う者は。粘土が陶工に言うだろうか。『何をしているのか、あなたの作ったものに取っ手がない』などと。」(イザヤ45:9)