いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
ルカによる福音書の21章3節で、神殿にいたキリストは、たくさん献金した人をほめました。しかし、神殿での献金は何に使われるのでしょうか。神殿ではたくさんの祭司たちが働いています。結局のところ献金は祭司たちに入り、祭司たちの活動に使われることになります。そして、祭司たちはキリストを敵視していました。そう考えますなら、献金は敵に味方する行いです。
キリストは、献金が何に使われるのかは見ておられません。献金は神へのささげものです。ですから献金には、神に対するその人の心が現れます。キリストはそこを見ておられます。
そして、たくさん献金したかどうかは、金額では決まりません。この時キリストがほめたのは貧しいやもめで、献金した額は200円にも満たないほどでした。しかし、キリストは言います。「この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れた。」
生活費を全部入れる、と聞きますと、そんなことはできないと思ってしまいますが、この「生活費」という言葉はギリシャ語の原文では「ビオス」という言葉で、これが英語になると「バイオ」という言葉になります。つまり、このやもめは自分の命を神にささげたのです。
ですから献金において大事なのは、私は神様に自分自身をゆだねます、と言えるかどうかです。もしそう言えるなら、キリストは私たちのこともほめてくださることでしょう。