いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
善い事をすれば天国へ行けるし、悪い事をすれば地獄に落ちる。そんな誰の心にもある思いは、イエス・キリストへの信仰を強調するキリスト教には関係無いのでしょうか。
聖書の救いのメッセージの中心点はキリストへの信仰だと見抜いた宗教改革者ルターは、この教えについての重要箇所、ローマの信徒への手紙の3章28節をこう訳しました。
「それで私たちはこう思う、人が義とされるのは、律法の業なしに、ただ信仰によってのみ。」
この中の「義とされる」とは、神に救われるの意味です。「律法」とは神の善悪の基準のことで、具体的には出エジプト記20章の十戒や、それを基にしたマタイによる福音書5〜7章の主イエスの山上の説教などです。
問題は「ただ信仰によってのみ」という部分です。この「ただ…のみ」は原文にはありません。しかし非常に重要です。ルターが、それが聖書の真意だと見なして付け加えました。
この「ただ信仰によってのみ」は二重の意味を持ちます。
第一に、人が救われるためには、他の何も付け加える必要はない、ただイエス・キリストへの信仰さえあればよい。第二に、人が救われるためには、他のどの様な手段によっても不可能で、ただイエス・キリストへの信仰という道しかない。
ただ信仰によってのみ。これは私たちにとっても宝の言葉です。