おはようございます。坂井孝宏と申します。
私はクリスチャンになってからもう20年になりますが、初めの頃に大変抵抗があった言葉があります。それは「従う」という言葉です。福音書を読んでおりますと、イエス様は「わたしに従いなさい」ばっかりおっしゃいます。(マタイ8:22、9:9、16:24など)
イエス様を信じるっていうことと、イエス様を自分の主人として受け入れて従うっていうことはセットです。ですから「イエス様に従う」ということは避けて通れません。とはいえ、その言葉に触れるたびに、とても厳しいものを感じてひるむような思いが、私の中にはずっとありました。しかし最近は、そんな言葉が一番胸にしみるんですね。
イエスに従うということを考えると、どうしても私たちは気負ってしまって、自分は生ぬるくてダメだとがっかりしてしまったり、逆にどこまでも従っていこうとがんばったりしてしまいます。でも実はそうじゃなくって、イエス様のほうが私たちの行くところ、どこにでもついてきてくださるというのが先にあるんですね。
イエスっていう方は、十字架においてすべての苦しみを背負ってくださった方です。あらゆる孤独と苦しみを味わわれた方だから、私たちが孤独で泣く時も、苦しくて苦しくて立ち止まる時も、いつもそこにイエス様が共にいてくださいます。どこにでもついてきてくださいます。そういう私と、あなたも共に行かないかって、イエス様は招いていてくださるんです。それが「わたしに従いなさい」っていうことです。