いかがお過ごしですか。川越教会の木村恭子です。今週はご一緒に「お祈り」について考えてまいります。
キリスト教では、祈りの対象である神と私の間に、人格的な関係が存在する中で祈ります。それがわかるのが、祈りの出だし、呼びかけの言葉です。私たちは「父、子、聖霊なる神」を三位一体の神として信じています。ですから、呼びかけは「父なる神」、「子なるキリスト」、「聖霊なる神」でもいいし、ただ「神」でもかまいません。
祈りを注意して聞いていますと、様々な呼びかけ方があるのがわかるでしょう。私は、いろんな方の祈りの出だし、神への呼びかけ方に関心があります。特に個人の祈りでは、呼びかけの言葉がその方の神認識、信仰の在り様と深く結びついていると感じるからです。
私は無意識に「愛する神様」と祈り始めることが多いようです。ある方は「お優しい神様」と祈り始めます。その方にとって神は優しい存在なんだなあ、と思わされます。あなたはどんな呼びかけで、祈りを始めていますか?
旧約聖書にこんな言葉が記されています。
「主よ、あなたは恵み深く、お赦しになる方。あなたを呼ぶ者に豊かな慈しみをお与えになります。」(詩篇86:5)
神は、神の名を呼んで祈る私たちに目を留め、祈りに応えてくださいます。