いかがお過ごしでしょうか。国立聖書教会の野島邦夫です。
モノとは異なる、他の生物とも異なる人のいのち、というものがあるのでしょうか。
これを考えるために決定的に重要なのが、旧約聖書創世記2章7節だと思います。これは2章全体の「神による世界創造の第二の記事」の一節です。
主と言う名の神がこの世界を創造された際、最後に「土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」とあります。なお、「創造の第一の記事」は第1章全体で、同じことを違う角度から描いています。
人は、そして人だけは、創造される際2段階を経て生きるものとなったとあります。
まず、神は土の塵で人を形づくられました。聖書でも創世記のはじめ11章ほどは特別な書き方がしてありますので、この土や塵を文字通りに取る必要はありません。
わかりやすく言い換えると、人間は様々な元素、物質からできている、ということです。ここではまだ「生きる」とは言われません。そのためには第二段階として神からの「命の息」が必要だと言われます。
こう考えてきますと、人間も様々なパーツを集めて繋ぎ合わせて、最後燃料を注入してスイッチを入れれば動き出す機械のようなものだ、と言う現代的な考えと同じように見えます。が、実は全く違います。命の息とは、命の源、神が創ってくださる神との結びつきです。