お元気にお過ごしですか。私は茨城県つくば市東谷田部東中斜め向かい、筑波みことば教会牧師の小堀昇です。運転中の皆さん、どうぞ、セイフティドライブでお出かけください。朝のお忙しいひと時、皆さん少しお耳を傾けて頂けませんか。
さて、アメリカの笑い話です。ある街に珍しい釣り人がいました。彼は大きな魚は捨てて、小さな魚だけバケツに入れていました。しかも、持ってきたメジャーでいちいち魚を測っているのです。そばを通りかかった人が聞きました。「あんた珍しい人だねえ。あんな大きな魚を捨てて、なぜ小さな魚だけ、バケツに入れているんですか?」 その釣り人は答えました。「いやあ、実は、我が家のフライパンの大きさに合わせて、魚を釣っているんですよ。」
クリスチャンも、大抵自分のフライパンを決めています。そして、そのフライパンの中に神を押し込めようとするのです。私は学歴がないから。私は能力がないから、私には賜物がないから。どう見ても、私は小さな人間だから。いくら神様でも、私の人生を変えることはできない。みんな人生のフライパンを決めてかかっているのです。
しかし、ペトロが用いられたのは、マタイが用いられたのは、ヨハネが用いられたのは、主に従順にお従いしたからでした。二匹の魚と五つのパンがキリストの御手に握られたとき、驚くような奇跡が起こってまいりました。
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」イエスはマタイによる福音書の4章19節で言われました。
私達の人生も主の御手に握られていくならば、豊かな人生を歩むことができるでしょう。どうかあなたも今日、このイエス・キリストを見上げて、主の御手に握られて、祝福の人生を歩んでください。それではまた御機嫌よう。