おはようございます。綱島教会の小宮山裕一です。
今日は日曜日です。礼拝に行く方も、行きたくても行けない方も、神様からの恵みがありますように。
日曜日に、私たちは礼拝します。その礼拝は復活のイエスと出会うためのものです。礼拝において、キリストが共におられることを確認し、感謝します。
しかし、私たちの毎日の生活にイエスは共にいてくださらなかったのでしょうか。決してそうではありません。イエス・キリストは、私たちが日曜日に教会から出て、次の日曜日に教会に入るまで、絶えず共にいてくださったのです。
しかし私たちは、イエスが共にいてくださっていることに気づいていません。復活のイエスにエマオの途上で出会った弟子達も、イエスが一緒に歩いていたのに気づきませんでした。
ルカによる福音書24章16節にはこう記されています。
「二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」
ここにありますように、彼らの目は遮られていたので、イエスが共に歩いていたのに気づきませんでした。私たちは、いつも共にいてくださるイエスに気づきません。しかし、礼拝に出席する時に、この一週間、いつもイエスがいてくださったことに気づき、感謝するのです。
イエス・キリストは、今日も、今週も、あなたと共におられます。