ご機嫌いかがですか。牧師の豊川修司です。
今、わたしが働く教会には(定住の)牧師がおらず、現役の牧師や信徒説教者が交替で毎週の説教奉仕をしています。自宅から教会まで片道3時間をかけて教会に行きます。
いつも注意していることは、考えごとをしたり、居眠りをして乗換駅を忘れないようにすることです。もう、数回失敗していますが、幸いに礼拝時間には間に合っています。これからも気を付けなければなりません。
そこで、「主の御計りごとを何一つ忘れてはならない」2番目は、詩編103編6節〜9節の御言葉です。
「主はすべて虐げられている人のために、恵みの御業と裁きを行われる。主は御自分の道をモーセに、御業をイスラエルの子らに示された。主は憐れみ深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみは大きい。永久に責めることはなく、とこしえに怒り続けられることはない。」
神は、ご自身の民がエジプトで400年の間、奴隷として苦しむ叫びを聞いて、モーセをリーダーとして約束の地へと導いてくれました。それにも関わらず、イスラエルの民は神に、モーセに、不平不満を言い続けました。それでも神は彼らに対して、憐み深く、忍耐強く、そして大切にしてくださいました。
そして神は今も、神に背く人たちを永久に責めることはありません。悔い改めを待っています。このような神を忘れないようにと勧めています。今の時代、主イエスと御霊が与えられ感謝です。