ごきげんいかがですか。草加松原教会の川杉安美です。
イエス様の弟子となったパウロは、イエス様から直接声をかけていただくという劇的な出会いを経験し、それによってキリスト教の迫害者から熱心なキリスト教徒になりました。しかし、そういうパウロでさえも言っています。「今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。」コリントの信徒への手紙一 13章12節です。
つまり、今地上で生きているときには、神様を直接見ることはできない。鏡におぼろに映ったものを見ているようなものだと。昔の話ですから、鏡といっても今のようにはっきり映るものではありません。銅を磨いたもので、パウロの言うようにおぼろにしか映りません。地上で生きているときの神様の知り方は、どうしてもそういうところがあります。天国に行った時に初めて、顔と顔とを合わせるようにして、イエス様を見ることになるのです。
今、地上にあるときは聖書を通して神様を知り、神様とお交わりをします。あるいはお祈りで神様とお話しします。時にはそういうやり方が、それこそおぼろげに感じてしまうことがあるかもしれません。
しかし、パウロと共にイエス様の弟子だったペトロは、多くのキリスト者に向かって書いています。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」ペトロの手紙一 1章8節です。
それが、信仰者の現実となるのです。聖書と祈りによって、そういうことが起こるのです。