ごきげんいかがですか。草加松原教会の川杉安美です。
新約聖書の最初の部分は、マタイによる福音書です。その第1章に、イエス・キリストの誕生のことが記されています。そして、イエス様の誕生が意味しているのは、「神は我々と共におられる」ということだと教えています。
また、同じマタイによる福音書の最後の部分は、イエス様ご自身の言葉として「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」となっています。どうやらマタイによる福音書は、全体を通して、神様が、イエス様が、わたしたちと共にいるということを教えているようです。
今のイエス様の言葉、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」という時の「いつも」というのは、文字通りいつもという意味です。喜びの時も悲しみの時も、健康な時も病の時も、いつもイエス様が共にいるということです。
あるいは、原文は「すべての日に」という言葉が用いられています。晴れの日も雨の日も、順境の日も逆境の日も、昨日も今日も明日も、すべての日にイエス様が共にいるということです。
もちろん、直接目でイエス様を見ることはできません。しかし、イエス・キリストが嘘つきであるか、あるいは聖書が偽りを記しているかでないならば、たとえ目に見えなくてもイエス様が共にいると信じるべきだということになります。
イエス様も、疑う弟子に対して言われました。見なくても信じる人は幸いだと。イエス様が共にいることを信じ、意識しつつ、聖書を読んだりお祈りしたりしてみませんか。イエス様が分かるようになることでしょう。