おはようございます。ごきげんいかがでしょうか。新所沢教会の長田と申します。今日は聖書について、聖書自身が教えていることを見てまいりましょう。
キリスト教の信仰について知ろうとする時、避けて通れないのが聖書です。
ただし聖書は、その本そのものをお守りにしたり、その言葉をそのままおまじないのように響かせれば良いというものではありません。聖書は、その語っております中身、その言葉の意味が人々に理解され、伝わることが大切なのです。
聖書の中で、神様はしばしば「聞け、イスラエルよ。」と神の民であるイスラエルに呼びかけております。
「聞け」というのは、単にその音が耳に届けば良いというのではありません。言葉の意味が伝わり、人の心に響き、その結果聞いた人が変えられて動かされることが求められているのです。なぜならば、聖書を私たちに与えてくださる神様が、ご自分のことを私たちに伝えようと願っておられる方だからです。
神様がどれほど人間を大切に思い、愛してくださっているか、どれほどその幸せを願っておられるか、神様は私たちに語りかけておられます。聖書を通して私たちは、初めて神様の愛の大きさを知り、喜び、感謝できるのです。私たちを愛してくださるただ一人の神様を知りましょう。
聖書を読みます。申命記6章4節
「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。」