おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
インターネット時代になってから、個人情報ということが神経質すぎるくらい語られるようになりました。もし、世界中の人々が善良で善意に満ちた人ばかりなら、こんなことを気にする必要もないでしょう。逆に全員が悪意に満ちていれば、インターネットそのものがそんなにもはやらなかったでしょう。
厄介なのは、人間世界には善と悪が混じり合っていて、しかも、それは一人の人間の中にも混在しているということです。ですから、知られている安心よりも、知られていることへの不安を拭い去ることができません。
これとは対照的に、聖書の中には神に知られているという安心感を表明した詩が出てきます。普通に考えれば、神に知られているというのは何か怖いことのように思われがちです。しかし、神の前には隠しようがないということを徹底して身に沁み込ませれば、かえって気持ちが楽になるものです。神の前では言い訳も弁明も必要ではありません。
ある意味、神は自分をもっともよく知り、もっとも理解してくださるお方なのです。神にはわたしに対する誤解も、あなたに対する誤解もありません。「わたし」という存在を最もよく知ってくださるお方です。
今日の聖書の言葉…「わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。あなたの御計らいは わたしにとっていかに貴いことか。 神よ、いかにそれは数多いことか。」詩編139編16節17節