おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
讃美歌に「ここも神の御国なれば」という歌詞があります。確かに神の目が届かない世界などありません。私が生きている世界、あなたの生きている世界、それはどこへ行っても神がご支配されている世界です。
「もしそうなら…」と反論の声が聞こえてきそうです。もしそうなら、どうして世界はこんなにも悲惨に満ちているのでしょう。きっと誰もが素朴にそう感じます。それは神など本当はいないからでしょうか。それとも、神は身勝手な人間のすることを懲らしめるために、罰としてこの世界を放置されているのでしょうか。しかし、この疑問から導き出される答えには、何の希望も慰めもありません。
現実の世界が悲惨に満ちていることは、否定のしようもありません。しかし、その現実から、神とはどんなお方であるのかを考えることは、順序も方法も間違っています。むしろ、この現実の世界の中に働いておられる神の御手を、聖書という眼鏡を通して見ることが大切です。心の目を開いてみるときに、この世界は確かに神の栄光が輝く神の庭なのです。そう信じて歩むときに、希望が心を支配します。
今日の聖書の言葉…「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。……ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」創世記28章16節17節