いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
主イエスが人々を教え始めて以来、その教えに疑問を持ち反対する人たちもまた現れました。その多くは、聖書を研究する人たち、神殿で礼拝を導く祭司たちなど、社会的に力がある人たちでした。現代で言えば、政治家や官僚、法律関係者にあたるような人たちです。
そんな彼らがにらみを利かせていることを、一般の人々は知っていましたから、主イエスが神殿で人々を集めて公に語っていると「あんなに公然と話している。」と言って驚くほどでした。もちろん、反対派の人たちは、それに対して手をこまねいていたわけではありません。むしろ、主イエスを捕らえるために、聖書で「下役」と書かれている人たち、現代で言えば警察官にあたる人たちを逮捕に向かわせました。
ところがこの人たちは、結果からしますと、主イエスを捕まえることなく帰ってきてしまいます。当然、彼らの上司は怒って尋ねています。「どうしてあの男を連れてこなかったのか。」(ヨハネ7:45)と。
しかし、下役たちは答えています。「今まで、あの人のように話した人はいません。」主イエスの言葉は、今まで、社会を変えようとした人たちが語ったような言葉ではなく、まったく聞いたことがないような言葉、本当に力がある言葉だった、というのです。その言葉の力は立場を超えて、逮捕に向かった人たちの心にまで届いてしまう言葉でした。
聖書の言葉が正しく受け取られるときに、それは、まったく新しい言葉として壁を超えて聞かれることばになります。