いかがお過ごしですか。新座志木教会の杉山です。
主イエスは、多くの町で人々に教えを語られ、それは評判となりました。そして人々は「この人は聖書に書かれた預言者ではないだろうか。」とか「いや、私たちの救い主ではないだろうか。」というように噂をしあっていました。
ところがそのような時に、いつも問題になることがありました。それは、「我々は、この人が何処から来たのか知っている。」という言葉でした。人々は、主イエスがどこの出身か知っていました。そしてその出身地であるガリラヤ地方から、救い主が出るなどということは聖書に書いていないことも知っていました。なにやら、すごいことを言っているが、あのところの出である以上、大したものではないだろうと多くの人は考えたのでした。
これに対して、主イエスは言われました。「あなた方は私がどこの出身なのか知っている。しかし、私は自分勝手に来たのではない。」少し謎めいた言葉です(ヨハネ7:28参照)。けれども、これは人々が想像しないことを語る言葉です。あなたたちは、私の出身地を知っているつもりになっている、しかし、本当かと問うのです。
また、わたしは、本当の出身地からある方によって派遣されてきた、というのです。そしてそのある方とは、言うまでもなく神様です。そうしますと、主イエスは、神様のところから、神様によって私たちのために地上に送られた、ということになります。主イエスの本当の出身地、それは神様のおられるところです。