おはようございます。西鎌倉教会の大木信です。
教会の礼拝に出られたことはありますでしょうか。礼拝では聖書を読んだり、お話を聞いたり、讃美歌を歌ったりと色んな事があります。しかし今日お伝えしたい事、それは「祈り」についてです。
「祈り」は易しいようで奥の深い、人によっては難しいと思われる行為です。祈りは一方で、神から与えられたものであり、更にその神御自身が祈りを求めておられます。しかし一方で祈りは、本来の人間に目覚めた者が神に表す行為、永遠なる御方への信頼と希望の行為、また懺悔に満ちた人が為す業でもあります。
祈ったことのある方は、なかなか思った通りに祈れないということがないでしょうか。それはなぜか。それは、祈る自分と、その祈りを聞いて下さる父なる神、そしてその祈りを神に聞いてもらえるように、間に入って下さるイエスさま、更には、祈りを聞いてもらえるように、言葉を整えて下さる聖霊、これらが一つとなって働くときに、神に届けられるものだからです。
イエスさまを知らない、信じないでは、自らの罪は赦されることはないので、神に祈ることは出来ない。けれども、「神の子とする霊」を受けた私たちは、「天のお父さん」と呼びかけて祈ることが出来ると聖書に書かれてあります。祈りはイエスさまと聖霊にお委ねして始める事こそ大事です。祈りは、この事にかかっているのです。