メッセージ: 恵みと愛と交わり(2コリント13:11-13)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
コリントの信徒への第二の手紙の学びも、いよいよ今日で最後になりました。執筆の目的が、教会の問題を解決するためということがありましたので、読んでいて気が重たくなるような手紙であったかもしれません。しかし、当時の関係者たちが、問題にどう向き合い、問題解決のためにどう取り組んできたのかを学ぶ上では、とても得るところの大きな手紙であったと思います。
もちろん、問題は起こらないのに越したことはありませんが、しかし、人間の弱さを考えると、問題が絶対に起こらないということはありません。弱さを謙虚に認め、同じ問題が起こらないように、また起こった時にはどう対処するのか、先人たちの努力から学ぶことはたくさんあると思います。
きょう取り上げるのは、手紙の最後に記された結びの言葉ですが、短い言葉の中にも、パウロらしい配慮を感じることができます。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 コリントの信徒への手紙二 13章11節〜13節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。
手紙を結ぶにあたって、パウロは、この手紙の受取人たちを再び「兄弟たち」と呼びかけます。今まで厳しいことを書いてきましたが、パウロにとって、この手紙の受取人は、変わることなく主にある「兄弟姉妹」です。主にあって兄弟姉妹であるからこそ、心からの思いを語って来たということでしょう。
手紙を結ぶにあたって、パウロは短い勧めの言葉五つを次々と並べます。
「喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。」
一番に「喜びなさい」と勧めるのには、理由があります。この手紙の1章24節で、パウロは自分の姿勢をこう記しています。
「わたしたちは、あなたがたの信仰を支配するつもりはなく、むしろ、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰に基づいてしっかり立っているからです。」
問題に向き合うパウロの姿勢は、決して信仰を支配しようとするものではありません。ここにも、主にあって同じ信仰を抱き、同じ土台の上にしっかり立っている兄弟として、相手を尊重している姿勢が見て取れます。
自分は何か偉い者のように、相手を見下し、相手の信仰を矯正しようとする姿勢から何も良いものは生まれません。
パウロはガラテヤの信徒に宛てた手紙の中で、罪に陥った兄弟に向き合うときの姿勢を次のように記しています。
「実際には何者でもないのに、自分をひとかどの者だと思う人がいるなら、その人は自分自身を欺いています。各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。」(ガラテヤ6:3-4)
パウロはコリントの教会に対しても、まさにそのような態度、思いで接してきました。パウロの願いは、主にある兄弟姉妹が喜びの中に生きることです。上から目線で信仰を支配することではなく、コリントの教会の人々が喜びの中に生きるようにと、そう協力する者でありたい、と自分の立場を明確に自覚していました。
そうであればこそ、この手紙を締めくくるにあたって、彼らに何よりも喜んでほしい、とその思いを告げています。
確かに、この手紙の前に出された、いわゆる「涙の手紙」と呼ばれる手紙は、コリントの教会の人たちを一時的にせよ悲しませる結果となりました(2コリント7:8)。そういう経緯があればこそ、なおのことこの教会が喜びに回復されることは、パウロの何よりもの願いです。
また、五つの勧めの最後には「平和を保ちなさい」と勧めています。このことは問題を抱えている教会にとってはとても重要なことです。意見の対立で分裂を起こすことはとても簡単なことです。しかし、もともと主にあって一つであることは、教会の本質です。教会の一致の破壊に力を注ぐのではなく、一致にとどまるその努力こそが大切です。
そして、それに先立って命じられる他の事柄も、この目的に向かう手助けとなるものです。思いが一つでなければ、平和に過ごすことはできません。励ましがなければ、一つの思いに向かうことは容易ではありません。
「完全な者になりなさい」…この勧めの言葉は誤解されやすいかもしれません。この地上にあっては、誰も完全であるはずはありません。実際パウロ自身、フィリピの教会に宛てた手紙の中で、パウロ自身、自分が完全な者ではないと語っています(フィリピ3:12)。
むしろ、ここで使われている言葉は、「あるべきところに戻される」という意味での完全さです。パウロにとって、教会が喜びの中にあることも、平和の中に一致していることも、教会の本質としてあるべきことなのです。
さて、それらの勧めの言葉に加えて、パウロは神の祝福を祈り求めて、こう祈ります。
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」
この言葉は、今日、多くの教会で、礼拝の最後に、牧師が教会員を祝福して送り出す言葉として用いられています。
しかし、新約聖書の中で、このように手紙を締めくくる例はほかにはありません。
ここには「キリスト」、「神」、「聖霊」が並列に登場し、他の手紙のように「恵み」だけが祈り求められるのではなく、「恵み」、「愛」、「交わり」が伴うようにと祈られています。
この祝福の祈りの言葉の中にも、コリントの教会を心から愛するパウロの思いを読み取ることができます。
破壊したり、相手を切り捨てることはとても簡単です。しかし、建て上げていくには相当な努力を必要とします。それは、この手紙の中に現れたパウロの態度を見てもその通りです。
しかし、それ以上に大切なことは、神によって建てられたこの教会が、キリストの恵み、神の愛、聖霊がもたらす交わりによってこそ、成長し続けることができるという信頼です。
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