ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
キリスト教会の礼拝では聖餐式と呼ばれる儀式が行われることがあります。主イエス・キリストが弟子たちと最後の晩餐を持たれたときに定められたものです。その聖餐式について記したパウロの手紙には、この聖餐式にあずかろうとする者は、「自分をよく確かめたうえで」この聖餐式にあずかるようにと求められています。
信仰を持ち始めた頃のわたしは、この「自分をよく確かめたうえで」とか「自分を吟味したうえで」ということが、何を求めているのかよくわかりませんでした。聖餐式にあずかってはいけない理由に、一つでも思い当たるようなことがあれば、辞退するように求めているのだろうかと、この言葉を聞くたびに心に重くのしかかっていました。
あるとき、お世話になった牧師から、この言葉の意味を教えられて、ホッとしたのを思い出します。それは、聖餐式に相応しくない自分の罪を数え上げるということよりも、ほんとうは神の前にふさわしくない自分が、今もなおキリストの十字架の救いによって救われている、そういう信仰を持ち続けているかどうか、そのことをよく確かめることが、ここでいう吟味の意味なのだ、ということでした。
なるほど、確かに、その信仰を失っているのであれば、聖餐式に形だけあずかったとしても意味はありません。キリストに対する信仰の吟味こそ大切なのだ、と合点がいきました。
さて、今日の箇所でも、「自分を反省し、自分を吟味しなさい」という言葉が出てきます。その言葉はとても厳しい言葉ですが、そこにはどんな思いが込められているのでしょうか。
それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 コリントの信徒への手紙二 13章5節〜10節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
コリントの信徒への第二の手紙の学びも、あと一回で終わりとなります。この手紙が書かれた目的の一番は、コリントの教会が、健全に成長することができるように、今、直面している問題が速やかに解決されることです。そのために、パウロは三度目のコリント訪問を計画しています。そして、その訪問が無駄にならないように、あらかじめこの手紙を書き送っています。信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが失格者なら別ですが…。わたしたちが失格者でないことを、あなたがたが知るようにと願っています。わたしたちは、あなたがたがどんな悪も行わないようにと、神に祈っています。それはわたしたちが、適格者と見なされたいからではなく、たとえ失格者と見えようとも、あなたがたが善を行うためなのです。わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。わたしたちは自分が弱くても、あなたがたが強ければ喜びます。あなたがたが完全な者になることをも、わたしたちは祈っています。遠くにいてこのようなことを書き送るのは、わたしがそちらに行ったとき、壊すためではなく造り上げるために主がお与えくださった権威によって、厳しい態度をとらなくても済むようにするためです。