今年も嬉しいメールやお便りいただきました。有難うございます。
先日、リスナーのKさんが久しぶりに上京されるというメールをいただきました。御茶ノ水オフィスにも立ち寄ってくださり嬉しかったです。最初の出会いは番組へのお便りをいただいたことなのですがとてもつらい時期で苦しんでいました。それからずっと何年もお便りの交換を続けました。春のオープンハウスや夏のキャンプ、冬のクリスマスにもご参加くださいました。今は神さまからいただく自分の歩みを喜んで生きていらっしゃいますが…。
実はKさん、新たに出発する喜びの日、先生の言葉に傷ついてしまったというのです。クリスマスだったでしょうか?「今年はたった2名の洗礼者」、この言葉がKさんの胸にグサッと突き刺さってしまったのです。「喜んでいただけていない?」嬉しい洗礼式は、その一言を聞いてから重苦しい気持ちになってしまい、そして、だんだん教会から離れてしまうことになっていったのです。
私たちは、言葉の使い方で心が萎んでしまうことがあります。「たった2名」と言われては、自分が大切にされていると思えません。
Kさんはその日お母様も誘って礼拝にいらっしゃっていたのに…。
きょうを生きる私たちの歩みの中でも同じようなことはありそうです。ほんの一言が人間関係を壊します。コップのお水の話はよく語られますね。「まだお水が半分もある」「もう半分しかない」と。
どの言葉を選んで生きていくか?ことばのレッスンは生き方レッスンになるようです。与えられた状況をどのように判断しているのか、言葉は正直に心を映しだしているのですね。喜びと感謝でしょうか?ため息とグチでしょうか?
「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。」(旧約聖書 箴言12章18節) くまだなみこ