私に時々襲ってくる不思議な出来事。ほほえみBOXのコーナーでもお話ししましたが、なんと先日の大切なリスナーの集い2日前に声が出なくなる定期便が来てしまったのです。
当日に声を失うとは初めてのピンチ。急性の扁桃炎症状です。すぐに耳鼻科に駆け込みましたが喉の腫れはそんなにすぐには収まりません。ついにかすれてしまって全く声を失ってしまったのです。すごく申し訳なくてどうしようかと悩んだのですが、当日のリスナーの集いは、「微笑みなみこ」でなんとか切り抜け、皆さまがあたたかな言葉をかけてくださり、またお話をよく聴くことができました。Oさんから、「えぇ?それじゃ今日は朗読ないの?」とも言っていただき以前の拙い朗読も覚えていて戴けて感謝でした。
次の日は日曜日。讃美歌をじっと聴きながら歌詞を噛みしめて賛美しました。声が出なくても心の中で賛美できました。あの大震災の年も強烈な喉の痛みに襲われてこれからどうなるかと神様に叫んでいたことも思い出しました。でも「ピンチはチャンス」なのですね。沈黙の中で思ったことを今日はお話しさせてください。
わたし達、時々黙って「耳をすます」ことが必要なのですね。騒音の中から逃れて,静かに一人になって耳をすますと聴こえてくる声や音が確かにあります。以前「黙っている人が一番語っているのだ」というようなことをどこかで読んだことがありました。
「語る」のではなく「聴く」こときり出来ない中で見えてくる世界。大自然の癒しの音楽、共に生きる人々の叫ぶ声などがよく聴こえてくるようです。よりよく生きるために「聴く」ことの大切さを覚えさせられました。さぁ今日も一日の中で黙る時をいただかねばなりません。「沈黙の世界」は、一人聖書に向かい、祈りへと続く道のように思えます。そこから今日も私たちを生かしてくれる「いのちの御声」が聴こえてくるのですね(旧約聖書・詩編19編)。 熊田なみ子