おはようございます。香川県坂出市で牧師を務める、吉田崇です。
今から500年前に宗教改革の口火を切ったルターという方は、印象深い言葉をいくつも残した方として知られます。今回はそのうちの一つをご紹介します。
ルターはキリスト教会の礼拝で、聖書にある神の言葉を人々に伝える説教をしていました。ルターは神様の言葉にいかに力があるかを言おうと、こんな言葉を残しました。
「私は教会で説教をした後、座ってビールを飲んで一服した。私は何もしなかった。神のみ言葉が全部行い、成就させた。」
ビールを飲んだら酔っ払ってその後仕事にならないのに、随分と図太い神経をしたものだと驚かされます。けれども人々を神様へと導くのは、いかに口が達者か、といった人の能力ではなく、神の言葉に働く神さまの力によるのだ、ということをルターは良くわきまえていたのです。
ルターは自ら作った「神はわがやぐら」という賛美歌でも「暗きの力の よし防ぐとも 主のみ言葉こそ 進みに進め」と歌っています。暗い闇の力が立ちはだかっても、主なる神様の言葉は暗闇の力をも押しのけて進んでいく、と確信していたのです。
聖書に、神様の力強さを示すこんなみ言葉があります。
「しかし、不信心なものを義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。」
ローマの信徒への手紙4章5節
聖書が示す神様は、不信心な者、つまり神様を拝もう神様に祈ろうとみじんも思わなかった人をも作りかえて、神様を信じ受け入れる人にしてくださる、過去によい働きが何も無かったとしても、神様がゼロから信仰を造り出して救ってくださる、というのです。この神の言葉、およびみ言葉を与えてくださった神様に全てを任せて生きていきましょう、というのが、ルターに始まる宗教改革が訴えようとしたことなのです。
キリスト教会にお誘いする時に、相手の方から「せっかくのお誘いですが、私のような者が、信心深くきちんとした信仰生活をするなんてとてもできませんから、遠慮しておきます。」というお返事が返ってくることがあります。そんな方には「今の段階でしっかりとした信仰生活ができるかどうかに、神様はこだわっておられませんよ。キリストと共に一歩を踏み出してくださるなら、一歩一歩進みながら神様がだんだんに整えてくださいますよ。と申し上げたいと思います。
どうぞお近くのキリスト教会にお出かけくださり、まず一歩を踏み出してくださいますよう願います。