おはようございます。清和女子中高等学校宗教主任の中山仰です。
読書好きな私は、推理小説以外にマンガとアニメも好きです。推理小説とアニメの2つが組み合わさったものに「名探偵コナン」があります。他にも好きなアニメはありますが、推理小説をそのままマンガやアニメにしたオ―ソドックスなものとは違って、「名探偵コナン」の方は少し違う要素と魅力が詰まっていると思います。
アニメと言っても、私のような年配の者にも心をくすぐる要素がたくさん盛り込まれています。登場人物なども懐かしい人物が出てきます。主人公の江戸川コナンは、江戸川乱歩と彼が尊敬したエドガ―・ア・ランポ―。コナンはご存じコナン・ドイル。阿笠博士は、アガサ・クリスティ―。毛利小五郎は、怪人二十面相と闘う名探偵、明智小五郎からです。友人の浪速の平次は銭形平次からでしょう。黒ずくめの悪人たちの名前は、ベルモット、ジン、シェリ―など洋酒の名前から取られています。
内容の点で、コナンの魅力の主なものを挙げてみます。普通推理小説の主人公は危険な目に遭っても、殺されることはほとんどありません。ところがコナンは、ある犯罪に巻き込まれて殺されかかります。その時に敵の組織の開発している薬が用いられます。殺すための実験に使われて、普通死んでしまいますが、彼の頭脳は高校生のまま体は小学生に変身した形で生き延びます。
コナンは毛利小五郎という探偵の家に世話になり、身の回りに起こる事件を自分は表立たない形で解決していきます。毛利探偵の娘は、工藤新一の彼女である蘭です。すぐ側に同じ家に彼女がいるのですが、自分が工藤新一という高校生探偵であることが発覚すると彼女にも命の危険が及ぶために申し出ません。黒ずくめの集団の組織と闘うために、あらゆるところで危険な目に遭います。
コナンを工藤新一と知っている者に、彼を助けていろいろ便利な機械を発明してくれる阿笠博士や大阪の友人浪速の平次ら数人だけです。すぐ側でいつも小さいコナンの手をつないで面倒を見てくれる蘭は、新一を待ちこがれつつ真相を知りません。頭脳は高校生、体は小学生という設定、同級生の小学生たちが組織した少年探偵団や怪盗キッズなどの個性あるキャラクタ―が入り乱れて興味ある作品になっています。
工藤新一が子どもの姿のコナンになるという、このような設定自体あり得ないことですが、そこのところが逆に大きな魅力となっています。それはちょうど神が人となってこの世に生まれたイエスさまとどこか遠くで重なっていると私には思えます。生徒たちに、イエス様は神の子であり、神であるということをどんなに説明してもし切れません。
ところがコナンの例は通常あり得ないことですが、まさに神が人の子になったことを重ね合わせて説明できる小さな例だと思っています。現実に高校生が小学生になるなどということを人々はアニメの世界のこととしてしか考えていません。でも人々はこのようなヒ―ロ―を望んでいます。
でもイエス・キリストこそ、まさに神が人となられたのです。そしてイエス様は神であります。完全な人であるイエス様は、神の子なのに命を失う危険性を併せ持つ完全な人間というお方でもあります。「名探偵コナン」の作者がそれを意識しているかどうか分かりません。でも神の子として悪霊を追い出し、病気をいやしたり、嵐の海を歩いたり、嵐をおさめたりする魅力もあります。コナンに重ね合わせているのは私だけでしょうか。
神であり人であるイエス・キリストこそ私たちの救い主です。この方において、私たちは人生の多くの艱難や苦しみや矛盾していると思うような悲しみから解放してくださいます。
コリントの信徒への手紙ニ4章8節から10節に「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。」という言葉があります。
御子イエス・キリストの十字架の贖いによって、私たちは現在の生活の中で戦えますし、将来に希望を持ち続けることができます。お伽話ではない、歴史の中で行われた神の鮮やかな壮大な救いの計画が、御子イエス・キリストにおいて実現しています。このような神に感謝し、心からほめたたえます。