おはようございます。清和女子中高等学校宗教主任の中山仰です。
アメリカ映画の巨匠スピルバーグ監督の新しい映画の話題が新聞か雑誌に紹介されていました。その題名は「The bridge of spy」です。スパイ物というとすぐに007などを思い出します。普通スパイの活動は、敵国の情報を入手して、自国に有利になるような画策をする役目があります。でもこの映画の内容は、スパイが相手の国の様子をよく知って、両国が戦争にならないように上手に取り計らうためという、いわば一般のスパイと反対の性格をもった役目のようです。敵国との間に平和の橋を築くためのスパイということになるのでしょうか。
私たちも通常誰かと付き合うためには、相手をよく知ることが必要です。同時に自らを知り、知らせる必要もあるようです。
今日の様々な不安の原因は、人間関係の付き合いが上手くいかないために生じることに原因があると言われています。中には、夫婦、家族、時には兄弟や周りの人との関係が悪くないのに、ノイローゼになったり、世をはかなんで自らの命を絶ってしまう人もおられます。経済的困窮も少なくありませんね。すると原因は人間関係だけではなさそうです。
聖書では、その根本理由は何かというと、神と遠く離れているためであると言っています。神から遠い時、人間の心の奥深いところで自分も周りも信じられなくなるということが起こると明確に書かれています。神から離れていた使徒パウロは、「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。(コロサイ1:21)」と言っています。
ですから私たちの健全な精神の回復のためには、神との交わりを欠かすことはできません。でも生まれながらの私たちは、自分で神に近づくことはできません。近づきたいとも思わないし、考えようともしません。そこでその架け橋として、神は御子イエス・キリストをこの世に送ってくださいました。それ故このキリストを通してでなければ神に近づくことはできません。なぜならば、私たちにとって神の存在は恐ろしいものかあるいは全く無関心であるからです。
イエスさまの特別な弟子である使徒パウロははじめ、イエス・キリストを信じていませんでした。その彼が復活のキリストに出会って一瞬に変えられました。その彼の言葉がエフェソの信徒への手紙2章14節から16節に書かれています。
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」
そこには、神に敵対している私たち人間へ橋渡しし、そのために敵意という障害を打ち砕いて、和解させてくださるキリストという方のことが書かれています。
この神と和解したものには、心の平安が与えられます。そうすると生きていく時、障害があっても耐えることができます。生きている神に、その障害を取り去って欲しいと祈ることもできます。これがもし取り去られないときには、神が自分に与えてくれた試練として、そのことを通して神様のご計画で何かあると待つことができるようになります。どんな振りかかる出来事も、神がご存じであると知ると、決して孤独ではなくなります。物事に意味があると受け止めるようになります。これは小さくないことです。なぜならどんな時にも絶望しないからです。倒れるような場面でも、立ちとどまることができます。
信仰者は困難な時にこそ強いのです。それは自分が特に強い精神の持ち主とか、特別な賜物を持っているからではなくて、神により頼む強さを身につけることができるからです。その実感は、キリストにあって神に赦されているという保障から出てきます。そのキリストは自らの命をかけて、十字架の処刑において、私の受けなければいけなかった神からの敵意を身代わりに受けてくださったのです。ここに神の大きな愛があります。神の提供してくださっている、キリストにある平和はあなたにも示されています。