ご機嫌いかがですか。所沢ニューライフ教会の玉井宜行です。
主イエスの誕生を待ち望む、待降節の主の日の朝を迎えています。
主イエスは神の子でありながら、おとめマリアのお腹の中に、聖霊の力によって宿り、罪のない人として生まれました。何故主イエスはこのようにして誕生されたのでしょうか。それは、私たち人間が、生まれながらに持っている罪、すなわち、私たちが神様のことを知らないという状態、この罪の状態から私たちを神様の前へと連れ戻して、神様を信じる者にしてくださるためでした。聖書はこのことを、人間の罪からの救いと言っています。
神様は、主イエスを信じるすべての人々の罪を、十字架の上で主イエスに背負わせ、私たちの罪からの救いを成し遂げてくださいました。
罪のない神の子でありながら、わたしたちの罪を背負って十字架にかかってくださった主イエスは、ご自身の十字架を前にして、「神様の本当のご意志は何でしょうか?」と祈りました。汗が血の滴りのように「ぽたぽたと」落ちるほどに、熱心に祈られたのであります。三度の祈りの後、主イエスはご自身が十字架にかかることによって、私たちの罪を背負うことが、神様のご意志であることを確信されたのです。
私たちの罪の赦しを実現してくださった十字架の背後には、主イエスの父なる神様へのにじり寄る祈りと、その祈りによって神様のご意志を確信した、救い主がおられることを思い起こしてください。