いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
キリストは、私たち一人ひとりに出会ってくださる方であるということが、聖書にはしばしば描かれます。印象深い出会い方をした人の一人に、ザアカイという人がいます。この人は罪深い人だとみなされていた人でした。けれども、自分の住む町にキリストがやってきたと聞いて、どうしてもそのキリストを一目見たくなりました。
ところが、群衆にさえぎられて見ることができません。そこで、ザアカイは木に登りました。木の上から話しかけたのでは失礼にあたりますが、ザアカイとしては、キリストと話をすることまでは期待していなかったということでしょう。ただ、一目だけでもキリストを見たくて、木に登ったのでしょう。
けれども、ちょっとだけ見るだけでいいというんだったら、走って先回りして木に登るなどということをするでしょうか。本当はこの人は、今の自分が置かれている状況から救い出されることを、自分でも気づかない心の奥底で求めていたんだろうと思います。
その木の上のザアカイに、キリストの方から声をかけてくださいました。キリストは同じように、私たちにも声をかけてくださいます。私たちにも、勝手にあきらめてしまって、でも心の底ではあきらめきれないでいることがあると思います。その、木の上の私たちにも、キリストは声をかけてくださいます。木の上から、今、降りましょう。