いかがお過ごしでしょうか。東京練馬の光が丘キリスト教会で牧師をしております、尾崎純と申します。
道端に座って物乞いをしていた盲人がいました。その人は、キリストが道を行くのを知って、大声でキリストに呼びかけました。キリストは立ち止まって、この人を連れて来させ、この人にたずねました。「何をしてほしいのか。」
この質問は何でしょうか。目が見えるようになりたいに決まっています。けれども、この人は物乞いをしていたのです。ですから、お金や食べ物や家など、この人にとって現実に必要なものはたくさんあります。それに、目が見えるようになったら、もう物乞いはできません。そう考えれば、お金や食べ物や家をもらった方が楽なことです。けれどもそれでは、本質的な解決にはなりません。
キリストは、その人の本質に切り込んでいきます。「何をしてほしいのか。」こう質問して、問題の本質に切り込むのです。この人は答えました。「主よ、目が見えるようになりたいのです。」
これは、私たちが祈る時にも、気を付けたいことです。私たちが祈る時、本質を求めているでしょうか。本質を求めているつもりで、そうでないことというのはあると思うのです。目が見えるようになりたいと求めるべきなのに、食べ物をくださいとお願いしてしまうようなことがあると思うのです。もし私たちが本質をキリストにゆだねるなら、キリストはこうおっしゃってくださいます。「あなたの信仰があなたを救った。」