いかがお過ごしですか。船橋高根教会の牧師の小峯明です。
聖書には人間のことが書かれています。もちろん、聖書は生ける神様を証言する書物です。しかし同時に、人間の罪の姿を赤裸々に描いています。
旧約聖書の哀歌2章20節には「女がその胎の実を、育てた子を食い物にしているのです。」とあります。町が敵に包囲されて食料が無くなりました。そこで女性たちが自分の子供を食べたというのです。
哀歌4章10節にも「憐れみ深い女の手が自分の子供を煮炊きした。わたしの民の娘が打ち砕かれた日、それを自分の食糧としたのだ。」とあります。戦争の現実です。
また「幼子を捕らえて岩にたたきつける者」との言葉もあります(詩編137:9参照)。敵の幼子を殺すものは幸いだという文脈で語られています。
わたしたちの世界にも戦争の悲惨が伝えられています。しかし、あまりに残酷なことは伝えられません。広島や長崎で、沖縄で起こったすべてのことが知られているわけではありません。そしてわたしたちの父祖たちが中国で、またアジアでしたことも、加害の歴史や悲惨は隠される傾向があります。しかし、神は神の民の愚かで悲惨な罪の姿を聖書に記しました。
この悲惨の現実を考えますと、人間には救いがありません。それが人間の堕落した姿です。しかし、この救いのない人間であるわたしたちを救うために、神様は身を乗り出してくださいました。それがイエス様の派遣です。イエス様は、この暴力と残虐に満ちた愚かな罪人を救うために、来てくださり、わたしたちの罪の身代わりとして十字架に掛かってくださいました。私たちの罪を赦し救うためです。
イエス様は、今もあなたを救いに招いています。あなたは救われなければなりません。失われてはならないのです。