いかがお過ごしでしょうか。羽生栄光教会の村田寿和です。
旧約聖書を読みますと、礼拝において、家畜をいけにえとして献げることが命じられています。どうして神様は、御自分の民、イスラエルに家畜を持って来て、いけにえとして献げることを命じられたのでしょうか?それは、人間が神様を本来は礼拝することができない罪に汚れたものであることを教えるためです。
罪に汚れた人間は、聖なる神様を、本来は礼拝することができません。そこで神様は、家畜をほふって献げることにより、その家畜の命によって、人間の罪を贖うことをよしとされたのです。人間は自分の身代わりとして、家畜をいけにえとしてささげることにより、罪を赦され、神様を礼拝することができたのです。
しかし、キリスト教会の礼拝において、家畜をいけにえとして献げることはしていません。どうしてでしょうか?それは、イエス・キリストが、十字架のうえで、ご自分を全世界の罪を償ういけにえとして献げてくださったからです。ですから、私たちは、十字架と復活の主であるイエス・キリストのお名前によって、神様を親しく礼拝することができるのです。
今日の聖書の言葉。
「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』」
ヨハネによる福音書1章29節