ご機嫌いかがですか。千葉県八千代市にあります勝田台教会の牧師をしております、坂井孝宏と申します。
クリスチャンに独特の言葉遣いを天国人のボキャブラリーとして紹介しておりますけれど、「そういう意味では賜物って言葉もそうですよね。賜物っていう言い方は、教会に来て初めて覚えたかもしれません。」なんて、昨年洗礼を受けた方が私に教えてくれました。
賜物っていう言葉遣い、どうやって使うかって言いますと、「あの人はオルガンの賜物がある。」とか、「子どもと遊ぶ賜物がある。」なんてそんな言い方をします。日本語でいいますと与えられた才能っていう言葉が一番近いと思うんですね。それを賜物っていう。賜物っていうのはプレゼントってことですけど、賜物っていうふうに言うのはそれを神様から与えていただいたっていうことを、強く意識するからです。
与えていただいた。大事なのは、与えられたのは用いるためだっていうことです。しかも自分勝手に用いるんじゃない。神様の目的に沿って用いるためです。神様の宮である教会に仕え、その教会を中心として神の国を建設していく。そのために私たちにはそれぞれに恵みの賜物が与えられます。
新約聖書のローマの信徒への手紙の12章にもこんなふうに言われています。
「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい…」(6節)
こんなふうに私たちには、それぞれに賜物が与えられます。しかもそれは、特別な一握りの人にだけ与えられるんじゃなく、誰にもそれぞれに、ふさわしいものが与えられるんです。