ご機嫌いかがですか。牧師の豊川修司です。
旧約聖書の出エジプト記と民数記にまたがる「荒野の40年」の歴史物語は、神の忍耐とイスラエル人の背きの40年の歴史と言えます。神はモーセに続いて、次の指導者ヨシュアを立てて、民をカナンの地に導きました。
でも、民はカナンの地で異教徒と結婚したために、異教の習慣が生活に入り込んだのです。偉大なモーセとヨシュアが死んだ後、彼らを守る人が無くなりました。
その様子は、士師記2章11、12節に「イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなった。彼らは自分たちをエジプトの地から導き出した先祖の神、主を捨て、他の神々、周囲の国の神々に従い、これにひれ伏して、主を怒らせた。」とあるように、彼らの生活は神から離れて行ったのです。
彼らは、預言者サムエルに、「我々のために裁きを行う王を立ててください。」と強く願いましたが、彼らの本音は、神を退けて王を求めた点です。神は知っていたのです。最初の王はくじで当たったサウルでした。彼は王になるといけにえをささげ、神の御言葉に反しました。
神の怒りはサムエル記上15章に示されています。
「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。」聖書の一貫した言葉です。