おはようございます。綱島教会の小宮山裕一です。
半年ほど前になりますが、富士山の麓にある施設で何日間か過ごしました。とても自然環境の良いところで、その施設の水は水道の水ではなく、井戸からくみ取った水でした。一口飲んだだけで美味しいとわかる水でした。そこで、私は水を水筒にいれて帰りの電車の中で飲むことにしました。
ところが、山から降りてその水を飲むと味が違うのです。おそらく、置かれている環境が違ったのでそう感じたのかもしれません。あの美味しい水の味は、ただ味の問題だけでなく、きれいな空気や美しい景色と共に感じたものでした。
聖書には、イエス・キリストのこのような言葉が収められています。
「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(ヨハネ4:14)。
イエス・キリストを信じる人には、乾くことのない命の水が与えられるというのです。この水をいただく人は、主イエスが共にいてくださる平安をあたえられるのです。その平安はつきることがない。水を飲めばそのうち乾きます。しかし、主イエスの命の水は決して乾くことがないのです。
そこで大切なのは、この命の水をどこで飲むのかということです。美味しくいただくにはどうしたらよいのでしょうか。この命の水を美味しく飲みたいのであれば、教会にお越しください。教会では主イエスの命の水のすばらしさを心から喜ぶことができるのです。