いかがお過ごしでいらっしゃいますか。南越谷コイノニア教会の黒川豪です。
今週は、主イエスの「わたしは○○である」という御言葉に注目しています。
わたしは山が好きで、時々山歩きに出かけます。そこで装備として必ず必要になるのが、手元や足元を照らしてくれるヘッドランプです。なぜなら、道に迷って、日が暮れてしまっても山の中にいる、ということがあり得るからです。そんなとき、地図やコンパスがあっても、それを照らしてくれる「光」がなければ、立ち往生するほかありません。
わたしたちが人生という旅路を歩むときも、「光」が欠かせません。それもヘッドランプのような人工的な光ではなく、わたしたちの心の奥底までも照らしてくれる「まことの光」が必要です。イエス・キリストこそ、わたしたちの心の奥底まで明るく照らす「まことの光」です。そして主イエスは「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」(ヨハネ8:12)と語っておられます。
わたしたちは時に、人生の目的が分からず、自分がどこから来て、どこに行くのか、自分がどこにいるのかさえ分からない、ということがあるかもしれません。しかしわたしたちが、主イエスを「世の光」として、真の神、救い主として信じ、従うとき、わたしたちは「命の光」、そして永遠の命を持ち、暗闇の中を歩くことはないのです。
そして主イエスを信じるわたしたちは、今度は主イエスの光を反射する者として「世の光」となり、周りの人々を照らしていくことになるのです。