ごきげんいかがですか。草加松原教会の川杉安美です。
旧約聖書にあるヤコブという人の話です。ヤコブは兄エサウの恨みを買い、命の危険があったので、父母のもとを離れて一人孤独に旅をしなければならなくなりました。昔のことですから、歩いて荒野を旅します。途中夜になったので、野宿をしなければなりません。その夜、神様がヤコブに、神様が共にいて下さるということを示してくださいました。
それでヤコブは言います。「まことに主がこの場所におられるのに、私は知らなかった。」(創世記28:16)つまり最初は分からなかったけれども、神様が共にいてくださることに気づかされたわけです。
話は変わりますが、神様のために働く牧師になるには、神様から牧師になるように召される、ということが必要です。自分勝手な考えだけではできません。私も牧師になることを考え始めた時、神様が自分を召しているのかどうか、そこのところがどうしても分からず、神様の召しを求めて何年か過ごしたものでした。しかし、あることがきっかけで、こっちが神様の召しを待っていたのではなく、神様の方がこちらの決断を待っておられたと気づかされたのです。それで、これ以上遅らせるわけにはいかないと、牧師になる決心をしました。
こちら側ではまだ分からなくても、神様の方で色々と配慮したり導いたりしておられることに、気づかされるということがあります。信仰生活はそういうことが案外多いかもしれません。あなたにも神様の働きかけが、すでにあるのではないでしょうか。