ごきげんいかがですか。草加松原教会の川杉安美です。
私は高校生の時に、イエス・キリストの生涯をテーマにした映画を見たことがきっかけで、教会に通うようになりました。今でも目に浮かぶ場面の一つに、次のようなものがあります。
当時の宗教家たちが、姦淫の罪を犯した女をイエス様の前に連れてきて、どうすべきかイエス様に問いかけます。当時の宗教的きまりでは、そういう女は罰として石で打ち殺すことになっていました。
その時、イエス様はおっしゃったのです。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」それを聞いて、そこにいた人たちは、一人、また一人と立ち去ってしまい、結局その女だけが残されました。イエス様は、残された女に「行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」と言われたのです。(ヨハネ8:3-11より)
集まっていた人たちは、「この女は罪を犯したのだから、罰すべきだ。」と考えていたのでしょう。しかし、イエス様の言葉によって、自分はどうなのだ、というふうに問われてしまったのです。自分にも罪があると認めざるを得なかったので、立ち去っていったのでしょう。私はその場面を後から思い出して、それでは今度は自分はどうなのかと考えさせられたのです。聖書の話は、他人ごとではなかったということです。罪を指摘することも、それを赦すことも、救うことも、他人ごとではなかったのです。
聖書は、あなたに問いかけます。あなたはどうなのか。あなたのために、イエス・キリストがいると。